2021-04-07 第204回国会 衆議院 外務委員会 第6号
そして、十四世紀のペストにおきましては、欧州の人口の三分の一が奪われる結果になりまして、絶望した人々が既存の絶対的な権威、すなわち、当時でいいますとローマカトリックになるわけでありますが、それに対する信頼を失い始め、これがルネサンスであったり宗教改革、さらには絶対王政、この誕生につながっていった。 日本においても天然痘がはやりました。
そして、十四世紀のペストにおきましては、欧州の人口の三分の一が奪われる結果になりまして、絶望した人々が既存の絶対的な権威、すなわち、当時でいいますとローマカトリックになるわけでありますが、それに対する信頼を失い始め、これがルネサンスであったり宗教改革、さらには絶対王政、この誕生につながっていった。 日本においても天然痘がはやりました。
ヨーロッパの中世というのは、すごく文化性が低いとよく言われますけれども、そこからルネサンスが起こって、でも、そのルネサンスの種はイスラムにあって、そのイスラムにあった種は、実は、ギリシャ、ローマ、グレコローマン文化にあった、こういう世界の文化のバトンみたいな、そういうものを、日本も今、この我々の文化をどうしていくかというときに、通史的な研究を通じてやはり戦略を考えていかないといけないと思うんですが、
十四世紀に発生したペストは、中世社会システムを崩壊させ、ルネサンス開幕へとつながりました。二世紀前のコレラ第一次パンデミックでは、清朝などアジアが衰退し、世界の中心がアジアから欧州へ、産業革命、西洋文化の開化へと向かいました。百年前のスペイン風邪では、西洋文明が衰退し、世界の中心が欧州から米国へと転換されていきました。
しかし、これは後に自由主義の思想を生み、ルネサンスや資本主義につながったとも言われます。コレラの被害は上下水道の整備に、スペイン風邪の流行は第一次世界大戦の終結にも影響したと言われ、まさに人類の歴史は感染症との闘いであり、その過程で社会と暮らしを大きく変革してまいりました。
これは、当時、原発ルネサンスと言われて、アメリカでの原発建設をするためでした。しかし、結果的には、建設が始まってもうまくいかなくて、何兆円とも言われる損害を出して撤退をしたのは、大臣も御存じでしょう。
当時は今と違って、原子力ルネサンスとずっと言われていました。原油価格は一バレル百ドルを超えていました。東芝はウェスチングハウスを買収して、世界中に原発を輸出する準備をしていました。我々の政権も、成長戦略に原発輸出を組み入れていました。今思えば至らなかったと思います。日本製の部品をインドに輸出するニーズが出てきていました。
といいますのは、原子力ルネサンスと言われた二〇〇〇年初めの時期に、いろいろな国が原子力を他国に展開しようというふうな動きを見せておったわけですけれども、その中にはアメリカとか日本は当然入りますけれども、フランスも入りますけれども、それ以外にも中国とかロシアとかといった国も入っております。
当時は、原子力ルネサンスという状況、先ほど浅田委員からもありましたが、国際的な原子力市場の拡大、逆に、日本国内の原子力市場は縮小の傾向にありましたので、そういう意味でも、原子力産業の発展という意味では意味があったんじゃないかというふうに理解しております。
二〇〇六年八月、原子力ルネサンスと呼ばれた世界的な原発増設の動きの中で、政府は、原子力立国計画を策定し、原発輸出を成長戦略と称し、官民一体となって推進してまいりました。
ですから、当時、当然、原子力ルネサンスとして原発システム輸出をやってきた人間です。しかし、三・一一以降は、まさに長官がおっしゃったように、是々非々で進めるという状況下だったはずであります。 しかし、少なくとも外形的に私が入手したさまざまな情報の中では、今井秘書官が相当中心人物として東芝と深くかかわり、進めていったと思われる、関係と思われるところがたくさんあるんです。
京都議定書は残念ながら第二期は参加できませんでしたけれども、今回のパリ協定の中でも、いろいろな国会の日程等でおくれてしまった部分もありますが、日本は、環境分野というのはしっかりとリーダーシップを発揮できる分野でありますし、やっていくべき分野であるし、また、日本の経済の進展を考えても、もう原発ルネサンスなんという時代ではないので、再生可能エネルギールネサンスでやっていかなきゃいけない。
また、十四世紀のヨーロッパでは、ペストとか飢饉でヨーロッパの人口が一気に七千四百万人から五千万人台に減少するわけでございますが、このときにも農業技術が非常に改良されたり、そのことによって農業人口の人々に富が渡り、それが例えば都市に流れて、フィレンツェの繁栄、ルネサンスを生み出したというようなことがございまして、芸術、羅針盤、火薬など、目覚ましい発展があるわけでございまして、それを考えて、先ほど副大臣
では、全体として原子力を取り巻く人材の状況はどうかということを私なりに調べてみますと、原子力ルネサンスと言われた中で、平成十六年を境に一旦増加傾向だったんです、原子力関連の学部と学生数は。しかし、東日本大震災、あの原発事故があって、それを契機に減少傾向になった。
新しい学校の会というのは学校を経営する株式会社が主な会員で、その理事であるルネサンス・アカデミーの担当者は、下村大臣は株式会社立など新しいタイプの学校を支持している議員だから献金したと、これは赤旗の取材に答えているわけです。 下村大臣、長年学習塾関係者のシンポジウムやセミナーに大変数多く登場しておられます。
例えば新しい学校の会でいうと、十五の会員法人が出ていますが、私が調べた中では、そのうち過半数の八法人、上から、株式会社アットマーク・ラーニング三万円、三番目のウィザス百二十万、四番目のウィッツ百九十五万、開桜学院十万、新教育システム三十五万、学校法人みつ朝日学園二十四万八千円、ルネサンス・アカデミー六万、代々木高校七十八万、合計四百七十一万八千円の寄附、献金がなされている。
それから、新しい学校の会の会員企業からの献金ということでありますが、ウィザス、それからルネサンス・アカデミー、代々木学園の三カ所から献金をいただいております。
○富屋政府参考人 平成二十五年の九月九日十一時三十分から十二時三十分に、提案に関するヒアリングということで、ルネサンス・アカデミー株式会社の御提案をヒアリングしております。
○宮本(岳)分科員 そのときのルネサンス・アカデミーの提案概要はこれであります。ずばり、表紙に「公設民営学校プロジェクト」となっております。 これを時系列で考えてみると、下村文科大臣は、二〇一三年四月二十日にルネサンス・アカデミーから六万円、六月二十五日には親会社であるワオ・コーポレーションから五十万円を受け取りました。
次の「医療ルネサンス」のあれですけれども、これは、大分県立看護科学大学のNPコース、二年間の修士課程を卒業した方が大分県の老人保健施設で働きまして、聴診器を持って、そして、患者さんが熱が出て、そして胸がちょっとゼコゼコしているということで、いち早く察知し、医師に連絡をして早く抗生物質の投与等々を行うということで重症化を防いだということが書かれております。
自民党の原子力ルネサンスという、提言書の中に保安院を分離独立することを検討するという一行を入れるのに十年以上かかったんですね。その文章が入ってから三・一一のあの原子力事故が起きてしまいました。 本当に私は政治家として、もし保安院の分離独立がなされていればあの事故は防げたというふうに、事故をいろいろ分析してみると、そのような思いでいっぱいであります。
参議院におかれましては、今申し上げました法案の修正点、疑問点、私ども出版協が三月に出しました改正案の修正を求める声明等を御検討いただき、今回の法改正が、真に出版のルネサンスのエンジンとなることを願い、私の意見といたします。 以上でございます。
ルネサンス運動は、まさに神が支配する世界から人間中心の世界へと変換する命がけの運動でもあったわけであります。 十九世紀の世紀末に、ニーチェが神は死んだとか、エゴン・シーレやクリムトの人間賛歌の美術運動は、神からいかに自由になるかが近世ヨーロッパのテーマであった、このように考えます。そして、その象徴が、サルトルとボーボワールのいわゆる事実婚だ、このように考えております。
私ども全国中央会は、現在、「組合 絆 ルネサンス」をスローガンに、会員組合と会員組合の間のきずなの力によって被災地の復興、日本経済の再生を図り、地域の暮らしを支えている中小企業が再び活力を取り戻せるように尽力しているところであります。